夏休み、家族で京都へ旅行に行きました。金閣寺を見たあと、次に向かったのが銀閣寺です。ガイドブックの写真では渋い色のお寺で、正直「本当に金閣寺と対になるお寺なのかな」と半信半疑のまま境内に入りました。
実際に目の前に立ってみると、建物は黒っぽい落ち着いた色で、金閣寺のようなキラキラした金色はどこにもありませんでした。「あれ、これのどこが銀閣寺なの?」というのが、正直な第一印象でした。
お母さんに聞いてみても「昔は銀箔が貼ってあったのかもね」というくらいで、はっきりした答えは分かりませんでした。せっかく気になったので、旅行から帰ったあと、自由研究として銀閣寺の名前の由来を調べてみることにしました。
「金閣寺は金色なのに、銀閣寺は銀色じゃないなんて、名前と実物が全然違うじゃん!」
不思議に思ったことをそのままノートに書き出して、調べ始めました。
📌 結論:「銀閣寺」は正式名称ではなく通称で、銀箔は実際には貼られていませんでした
先に結論を言うと、銀閣寺の正式な名前は「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」で、「銀閣寺」はあくまで通称です。 敷地内に建てられた「銀閣」という名前の楼閣が、お寺全体を代表する存在になったことから、いつしか寺全体が「銀閣寺」と呼ばれるようになりました。
そして肝心の「銀」の部分ですが、銀閣の外壁に銀箔が貼られたことは実際にはなく、なぜ銀箔なしで「銀閣」と呼ばれるようになったのかには、いくつかの説があります。 この記事では、名前の由来と、銀箔が貼られなかった理由の諸説を、自由研究として調べた内容でまとめます。
📖 この記事でわかること
- ✅ 銀閣寺の正式名称と、その意味
- ✅ 「銀閣」という建物の名前がお寺全体の呼び名になった理由
- ✅ 「銀閣寺」という通称がいつごろから使われ始めたか
- ✅ 銀箔が実際には貼られていないという調査結果
- ✅ 銀箔が貼られなかった理由として考えられている、いくつかの説
家族旅行で見た銀閣寺が、思っていた「銀色」じゃなくて驚いた

結論として、銀閣寺は名前から想像していたような銀色のお寺ではなく、黒っぽい落ち着いた色の建物でした。 京都旅行の前半で金閣寺を見たとき、屋根の下まで金箔がびっしり貼られていて、太陽の光を受けてまぶしいくらいに輝いていました。その印象が強く残っていたので、銀閣寺もきっと銀色に光っているのだろうと想像していました。
ところが実際に見た銀閣寺(正確には「銀閣」と呼ばれる楼閣)は、黒い漆塗りのような落ち着いた色合いで、金閣寺とはまったく違う雰囲気でした。派手さはないけれど、庭の緑や白い砂の模様と合わさって、静かで上品な美しさがあると感じました。
「金閣寺とセットで有名なんだから、てっきり銀色なんだと思ってた」と弟に話すと、「じゃあなんで銀閣寺って名前がついたの?」と聞き返されてしまい、うまく答えられませんでした。この素朴な疑問が、自由研究のテーマになりました。
境内の案内板には「世界文化遺産」という文字も書かれていました。「古都京都の文化財」の一つとして登録されていると知り、単なる観光地ではなく、世界的にも大切にされている場所なのだと分かって、余計に名前の由来が気になりました。
正式名称は「東山慈照寺」だと、パンフレットを読んで知った
結論として、「銀閣寺」という呼び方は正式名称ではなく、本当の名前は「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」でした。 拝観時にもらったパンフレットを読んでみると、入り口には「臨済宗相国寺派 東山慈照寺」と書かれていて、「銀閣寺」の文字はどこにも見当たりませんでした。
普段テレビや教科書では「銀閣寺」としか紹介されないので、正式な名前が別にあるとは思っていませんでした。「金閣寺」も同じように、正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」で、こちらも通称の方が広く知られているそうです。有名なお寺には、こうした「みんなが呼んでいる名前」と「正式な名前」の両方があるのだと、初めて知りました。
普段何気なく使っている「銀閣寺」という呼び方が、実は正式な名前ではなかったという事実だけでも、自由研究のテーマとして十分面白いと感じました。
「慈照」という名前は、足利義政の法号からつけられていた

結論として、「慈照寺」という名前は、このお寺を建てた足利義政(あしかがよしまさ)の法号(死後に贈られる仏教上の名前)にちなんでつけられていました。 銀閣寺はもともと、室町幕府の8代将軍だった足利義政が、1482年(文明14年)に建てた山荘「東山殿(ひがしやまどの)」が始まりだったと分かりました。
義政が亡くなったあと、この山荘は臨済宗のお寺に姿を変えました。そのときに、義政の法号である「慈照院」にちなんで「慈照寺」と名付けられたそうです。「東山」という地名と、義政をしのぶ「慈照」という名前が組み合わさって、正式名称の「東山慈照寺」になったことが分かりました。
お母さんに「法号ってなに?」と聞いたら、「亡くなった人に、お坊さんの世界での名前としておくられる呼び名みたいなものだよ」と教えてくれました。人の名前をそのままお寺の名前にするのではなく、亡くなったあとの特別な名前を使うところに、当時の人たちの敬意が表れているように感じました。
山荘の中の「銀閣」という建物の名前が、お寺全体の呼び名になった
結論として、「銀閣寺」の「銀閣」は、敷地の中に建てられた一つの楼閣(ろうかく、2階建ての建物)の名前でした。 東山殿の敷地の中には、いくつもの建物がありましたが、その中でも観音像をまつる2層の楼閣が「銀閣」(正式には観音殿)と呼ばれていました。
金閣寺の「金閣」も同じような仕組みで、正式には「舎利殿(しゃりでん)」という建物の通称が「金閣」なのだそうです。つまり金閣寺も銀閣寺も、お寺の敷地内にあるシンボル的な建物の呼び名が、いつのまにかお寺全体の呼び名として定着した、という共通点があると分かりました。
銀閣という建物一つが、お寺全体のイメージを背負うくらい印象的な存在だったからこそ、正式名称の「慈照寺」よりも「銀閣寺」の方が広く知られるようになったのだと、自分なりに納得できました。
実際に敷地の中を歩いてみると、銀閣以外にも「東求堂(とうぐどう)」という書院づくりの建物や、白い砂を波の形に盛った「銀沙灘(ぎんしゃだん)」、砂を丸く盛った「向月台(こうげつだい)」など、見どころがたくさんありました。それでもガイドブックや教科書で必ず写真に使われるのは銀閣の姿で、この建物がいかにお寺の「顔」として扱われているかが、旅行中も実感できました。
金閣寺と比べられて「銀閣寺」と呼ばれるようになったと知った

結論として、「銀閣寺」という呼び方が広まったのは、金閣寺と対比されるようになったことがきっかけという説が有力でした。 調べてみると、「銀閣寺」という呼び方が一般的に使われるようになったのは江戸時代に入ってからだと分かりました。義政の時代から少し時間がたってから定着した呼び名だったのです。
金閣寺を建てたのは3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)で、銀閣寺を建てたのは孫にあたる8代将軍の足利義政です。義満の時代に栄えた文化は「北山文化」、義政の時代に栄えた文化は「東山文化」と呼ばれ、どちらも室町時代を代表する文化として、歴史の授業でセットのように習います。
金色に輝く「金閣」に対して、それと対になる存在として「銀閣」という呼び名が使われるようになり、お寺全体も「金閣寺」に対する「銀閣寺」として親しまれるようになった、という説がありました。もともと銀色だったから「銀閣寺」になったのではなく、金閣寺と比べられたことで「銀」という呼び名がついた、という順番だったことに驚きました。
銀箔は実は貼られていなかった、という調査結果に驚いた
結論として、銀閣には過去にも銀箔が貼られた形跡がなかったことが、実際の学術調査で分かっています。 「銀閣」という名前なのだから、昔は銀箔が貼られていて、時間がたって剥がれ落ちたのだろうと最初は思っていました。
ところが2007年に行われた本格的な調査で、銀閣の壁や柱の表面を詳しく調べたところ、銀箔が貼られていた痕跡は見つからなかったそうです。もともと銀閣は、黒漆(くろうるし)を塗った落ち着いた外観の建物として造られていた、ということが分かってきました。
「銀箔がはがれたから今の色になった」というイメージを勝手に持っていたので、この話を知ったときは正直かなり驚きました。名前に「銀」とついているからといって、必ずしも本物の銀が使われているとは限らないのだと、実物を見て感じたことと調査結果が、ようやく自分の中でつながりました。
銀箔が貼られなかった理由には、いくつかの説があると分かった

結論として、銀箔が貼られなかった理由については、資金不足だったからという説と、義政の美意識によるものだったという説の、大きく2つの考え方があると分かりました。 どちらか一つに決まっているわけではなく、今でも研究者の間で意見が分かれているようです。
一つ目は、財政が苦しくて銀箔を用意できなかった、という説です。銀閣寺の建設が始まった1482年は、京都の町を焼け野原にした「応仁の乱」という大きな戦乱が終わった直後にあたります。戦乱で幕府の財政も傷んでいた時期だったため、金閣寺のように贅沢に銀箔を貼る余裕がなかったのではないか、という考え方です。
二つ目は、そもそも義政が銀箔を貼るつもりがなかった、という説です。義政は派手さよりも、静かで落ち着いた美しさを大切にする人だったと伝えられていて、義政の時代に生まれた「東山文化」も、簡素で奥ゆかしい「わび・さび」の美意識が特徴とされています。金ぴかの金閣とは違う、渋い黒漆の佇まいこそが、義政の理想とした美しさだったのではないか、という説です。
お父さんに話したところ、「お金がなかったのと、あえて質素にしたかったのと、両方が重なっていたのかもしれないな」と言っていて、なるほどと思いました。一つの正解を決めつけるのではなく、いくつかの理由が重なっていた可能性を考えるのも、歴史を調べる面白さなのだと感じました。
よくある疑問
Q. 銀閣寺の正式名称は何ですか?
正式名称は「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」で、臨済宗相国寺派のお寺です。「銀閣寺」は広く使われている通称にあたります。
Q. なぜ「慈照寺」という名前になったのですか?
このお寺を山荘として建てた足利義政の法号「慈照院」にちなんで名付けられたためです。義政が亡くなったあと、山荘がお寺になった際にこの名前がつけられました。
Q. 「銀閣寺」という呼び方はいつごろから使われていますか?
金閣寺の「金閣」と対比される形で、江戸時代ごろから広く使われるようになったとされています。義政が生きていた室町時代の当初から定着していた呼び名ではありません。
Q. 銀閣に銀箔は本当に貼られていないのですか?
2007年に行われた学術調査で、銀閣の壁などに銀箔が貼られた痕跡は見つかりませんでした。もともと黒漆塗りの外観だったと考えられています。
Q. 銀箔が貼られなかった理由は結局どれが正しいのですか?
応仁の乱直後で資金が足りなかったからという説と、足利義政があえて質素な美しさを選んだからという説があり、現在も研究者の間で議論が続いています。どちらか一方に断定はできません。
Q. 金閣寺と銀閣寺は、誰が建てたお寺ですか?
金閣寺(鹿苑寺)は3代将軍の足利義満、銀閣寺(慈照寺)は8代将軍で義満の孫にあたる足利義政が建てました。それぞれ北山文化・東山文化という別の時代の文化を代表する建物です。
まとめ
改めて結論です。「銀閣寺」は正式名称ではなく通称で、銀箔は実際には貼られていませんでした。
- 正式名称は「東山慈照寺」。「慈照」は建立者・足利義政の法号にちなむ
- 敷地内の楼閣「銀閣」の名前が、お寺全体の呼び名として定着した
- 「銀閣寺」という通称が広まったのは、金閣寺と対比されるようになった江戸時代ごろから
- 2007年の調査で、銀閣に銀箔が貼られた痕跡はないと分かっている
- 銀箔がない理由は「財政難説」「義政の美意識・わびさび説」など諸説あり、断定はされていない
金閣寺のあとに銀閣寺を見て、「なんで銀色じゃないの?」と単純に感じた疑問でしたが、調べてみると正式名称の話から、応仁の乱後の時代背景、足利義政という人の美意識まで、いろいろなことにつながっていました。名前だけを覚えるのではなく、その名前がついた背景まで調べると、旅行で見た景色の意味がぐっと深く感じられました。
今度また京都に行く機会があったら、金閣寺と銀閣寺を見比べながら、北山文化と東山文化の違いも自分の目で確かめてみたいと思います。同じように「銀閣寺ってなんで銀色じゃないの?」と疑問に思ったことがある人の、何かのヒントになればうれしいです。

